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+++ 永井真理子ラストライヴ +++
| Mariko Nagai SPECIAL LIVE 2002 |
- 12/23/02 at 東京・表参道FAB
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| 永井さんと自分 |
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報知新聞のウェブサイトに載った「永井真理子休業宣言」。後日、彼女のウェブサイトに、所属事務所は離れて海外に引っ越すことは事実としつつも、その記事は誤報であり、音楽活動は続けていくといった趣旨のコメントが掲載された。確かに事務所を離れようが、メジャーレーベルとの契約が無くなろうが、音楽は作り続けていけるよな。でもそのコメントを読んだみんなは分かっていたはずだ。契約が無くなるということはプロのアーティストとしての活動の大いなる制約を意味することだし、半ばそれはプロのミュージシャンとしての「引退」を意味することを・・・。
「永井真理子」という名前を見たり聞いたりしたことがない人はいないと思う。ある人にとっての彼女のイメージといえば「YAWARA!」の主題歌の「ミラクル・ガール」だろうし、またある人にとっては「大地の子」だったり、またある人にとっては「ZUTTO」であろうし、またある人にとっては「やまだかつてないテレビ」であろう。そしてそのほとんどの人にとって、永井さんというのは「過去の女性ボーカリスト」「昔有名だったけど今どこ行ったか分かんない人」であろうに違いない。「ハートをWASH!」「ZUTTO」を大ヒットさせた直後の1992年と1993年の横浜スタジアムでのライヴを境にして、レコードのセールスが振るわなくなり、メディアへの露出も激減。バンドのギタリストと結婚して出産を経験するなど、音楽から遠ざかっていた時期もあり、近年はメジャーシーンからはまったく姿を消したといってもいい存在になっていた。
かといってプロモーション活動から全く足を洗っていたかというとそうではなくて、自分も「Burps Profile > Burps Miscellaneous > 6年ぶりのナマ永井さん」でも書いているように、2年に1度ぐらいのペースでアルバムを発表しながら各地のラジオ局やイベントなどを細々とまわっていた。しかし数年前の熱狂にはほど遠く、その福島のイベントには、永井さんファンは自分を含めて数人、といった状況だったし、色々なファンサイトを覗いてみても各地での彼女の扱いは似たようなものだったらしい。町の祭りの余興に借り出され、酔っ払いのオヤジに罵倒されることもあったという。かつて数万人規模の会場を熱狂させたアーティストが、地方巡業のドサ周りを続けるというのは精神的にどんなに過酷だったかは想像に難くない。
自分と永井さんの出会いというのは、89年の初頭のことだ。当時、高校2年生であった自分は、彼女の歌を一発で気に入ってしまった。言うまでもなくロックがもっとも低迷していた時期であり、熱中できるアーティストが海外にいなかったということも彼女にのめりこむきっかけともなった。かつ当時は「歌のうまい日本人女性ポップ歌手」というのが希薄な時代で、常に「歌のうまい人がいないかなぁ。」と探してまわっていたときでもあり、そのタイミングにピシャリとハマったのが永井さんだったのだ。まだ彼女がそれほどメジャーになる前のことで、ちょうどセカンドアルバムを発表した頃だったかな。
その後武道館ライヴを成功させるほどの人気が出てからいよいよわが福島県にも永井さんはツアーでやってきてくれた。大学入試センター試験の直後だったから日付もしっかり覚えている。90年の1月17日だ。「ミラクル・エンジン・ツアー」と題されたツアーの1公演で、会場は福島県郡山市民文化センターだった。「試験受けてきたばっかりの人いるんじゃないのぉ??」という質問に、「おーー!!」と叫んだことを昨日のように思い出す。
ライヴだけじゃなくて、当時はラジオ番組にも彼女はレギュラー番組をいくつか持っていた。番組タイトルは思い出せないのだが、FM仙台系でひとつやっていて、その後メジャーブレークした頃に全国ネットのTBSラジオで「ポップン・ルージュ」という番組の月曜日DJを担当することになった。(ちなみに火曜=笹野みちる、水曜=奥居香、木曜=谷村有美、金曜=久宝瑠璃子だった。) もちろんリクエスト葉書をせっせと書き、今日こそ読まれるだろうと必死にラジオにかじりついていた。だけど一度もハガキは読まれなかった。 そしてその後にNHK-FMの「ミュージック・スクエア」という1時間半(or 1時間45分)番組の水曜日のDJを務めることになった。(ちなみに月曜=渋谷陽一、火曜=桑田圭祐、木曜=布袋寅泰、金曜=中島みゆきだった。・・・すげえメンツだ。)まさにこれが永井さんの人気絶頂期とも重なるわけだけど、その中でとうとう読まれてしまった、俺のハガキが・・・。日付もしっかり覚えていて、それは90年の5月17日のことだった。 内容も覚えているが、こっぱづかしいのでここでは言わないけど、読み終わった永井さんは半ば呆れていたみたいだった。超バカな内容だったから。
22歳の時に出した写真集も買い、コンサートにもせっせと足を運び、楽譜を買ってギター音をコピーし、実家のある静岡県御殿場市を旅し・・・・と、永井さんには「マニア」に近いレベルまでハマっていた。そういえば永井さんのコンサートには自分の妹を連れて行ったこともある。その時、一緒にライヴに付いて来た妹の高校の友達は、今では自分の義理の弟になっている。つまり妹の今の旦那さんなのだ。
投稿していたのはラジオだけじゃなかった。FM STATIONという音楽雑誌(現在廃刊)にディスクレビューを載っけてもらったこともあった。大体200-400字ぐらいだったと思うんだけど、永井さんの「Catch Ball」と「Open Zoo」という2枚のアルバムレビューを掲載していただいた。それぞれ自分が18歳と21歳の時であった。(その他にも、ガンズ&ローゼズの東京ドーム公演、エアロスミスの武道館公演のライヴレポートと「Eat The Rich」のディスクレビューも掲載していただいた。)何百通に1通ぐらいしか掲載されないみたいだったんだけど、自分の場合には100発100中だった。なので記念品のFMステーションロゴ入りペンは、何セットも持っている。(他にもイラストなどでも何度か掲載してもらった。)
だけれども、先に言った横浜スタジアム公演あたりを境にして、ツアーで地元に来てくれることも少なくなってしまった。ラジオのレギュラー番組を聞くこともできなくなり、アルバムでしか彼女の現在を確認できなくなってしまってからは、他の人がそうであったように、永井さんとだんだん距離を置くようになってしまった。洋楽ロックが、USではオルタナティブで盛り上がり、UKではブリットポップで盛り上がっていた頃であり、自分の嗜好は完全に洋楽に戻っていた。
でも永井さんのことを忘れていたわけではなかった。アメリカに住んでいた時には、永井ファンサイトのチャットとかにもよく出没して最新情報をゲットしたりしていたし、(ちなみにこの時のハンドルは、momoe22という名前だった。なぜこんな女性のような名前かというと、日本からアメリカに帰ってきた時、友人に山口百恵のビデオを買ってくるように言われていて、ハンドルを決めようとした時にそのビデオが自分の傍らにあったから。) 逆に人気が下降してきたことにより、小さいライヴハウスで見られたりしないかな?と思うようになってきた。
実際にそのチャンスが訪れそうになったのは、98年の10月のことだった。当時はまた福島に逆戻りして住んでいたが、赤坂ブリッツ公演があるというのでそのチケットに飛びついた。 でも諸所の事情により、そのライヴを観に行くことはできなかった。
もうレンタル屋にすらCDが置かれなくなってきていた2001年3月、再度ライヴハウスギグのチャンスが巡ってきた。会場は同じく赤坂ブリッツ。自分は迷うことなく「立ち見」のチケットを購入した。この頃は現在の川崎に住んでいたので行けない理由は何もなかったのだが、ちょっと遅れて会場入りしてビックリ。なんと赤坂ブリッツのくせにオールスタンディングのライヴではなかったのだ。全席指定の赤坂ブリッツで、「立ち見」の場所は、フロアの最後方のみ。 絶対に最前列で見てやるぞ!と意気込んでいたので、このどんでん返しには気が抜けた。その前後に行われたグリーン・デイとオフスプリングのライヴが素晴らしかったので、なおさらヘコんだ。
そして今回のライヴレポートへと行く前に、なんで自分が永井さんを好きか、その理由をハッキリさせたいんだけど、確かに歌がツボにハマるってこともあるんだが、なにせ自分は彼女の正直さと誠実さが好きだった。Yeah Yeah Yeahsのディスクレビューで、「自分には好きな女性のタイプがない」とは書いたけど、敢えて上げさせてもらえれば、正直で誠実な女の人が好きだ。正直な人には自分も正直に、素直になれるから。 とはいってもそんな女性が世の中にはほぼ皆無であることは、さすがにこの歳になれば分かることではあるのだけれど、少なくとも永井さんは、メディアを通してのことではあるけれども、正直で誠実である、ということに何の疑いを持っていない。具体的には、と言われると困るんだけど、ラジオやライヴで窺い知れる彼女の姿は正直さと誠実さの塊であり、敢えて具体例を挙げれば、彼女の結婚の発表は横浜スタジアムのライヴ中だったということだろうか。WOWOWで生中継されていたこのライヴの最後の最後で、「永井真理子は、ギターの廣田コージと、結婚しまーす!」と宣言したのだ。 かなりショックはショックだったけど、誰に報告するよりも先に、自分のファンに結婚を報告するというこの誠実さは、自分の理想というものを永井さんに投影するきっかけになっている。
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| 永井さんライヴ@表参道FAB |
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永井さんのデビュー15周年にあたる2002年11月、永井さんは所属事務所から離れることを決意し、家族とともに海外へ渡ることに決めた。それと時を同じくして、(恐らく)最後のクラブギグツアーが発表になった。名古屋と東京で3日のライヴをやるというもので、最初の2日は「Heart Beat Club」という永井さんのオフィシャルファンクラブのためのイベントで、最後の日が一般公演だ。もちろん自分が狙ったのは最終公演で、このチケ取りのために、久々に電話予約に燃えた。表参道FABという、余りロック系のギグでは使われないライヴハウスで、キャパは400。ブリッツよりもはるかに小さいハコなので、取れるかどうか心配だったけど、PHSと一般電話を駆使した挙句、結構簡単にチケットをゲット。「あれ〜?!あんまり売れてないのかな・・・。」と思ったのだけれど、やっぱり速攻でソールドアウトになっていたみたいだった。
そして公演1週間前にチケットが送られてきてなおビックリ。整理番号はなんと「3番」だったのだ。自分の野球チームの背番号でもあるこの番号は、開場の時間にちゃんと開場に到着していれば、つまり「最前列で」永井さんを見られてしまうことを意味していた。
ライヴ当日は、ちょっと寝坊してしまい(・・・って午後3時だったが。)、メチャメチャ急いで会場へと向かった。なにせ午後4時半開場、5時開演というスケジュールだったから。会場前にはファンがたくさんタムろっていたけど、なにせ整理番号3番なので、ほぼ列の先頭で開場を待つことになった。明らかに周りは永井さんのコアーーーーなファンの方々ばかりで、オフィシャルファンクラブにも入っていない自分が、こんなとこに居ていいのかな?という気持ちにもなった。
ライヴハウスへと続く階段のところに整列させられて開場を待っていたら、後ろの人が、「あ、お母さん!!」と言って手を振っていた。どうやら永井さんのお母さんらしい人が目の前を通ったみたいだった。永井さんにあまり似てなかったが、そもそもお母さんとも知り合いっていうファンの人達はすごいなぁと思った。永井さんファン度ランキングというのがあったら、全国でベスト100位以内に入る自信はあるが、これを見て自分はベスト10には入れないな、と思った。
そしていよいよ開場。一番最初に入場したかなりオタクっぽい人は、なぜか隅っこの方に陣取ったので、自分は迷うことなく狭い会場の最前列のど真ん中をキープ。目の前にある永井さん用マイクスタンドまで約2メートルという、とんでもなく絶好の位置を獲得することができた。周りの女性の方々は、買い込んだ荷物を柵の前のところに置いたりしていたが、ライヴハウスで始めてみたよ、そんなところにモノを置かせてもらっているのを・・・。でもやはりみなさん永井さんのコアーーーーなファンの方々らしく、目が爛々と輝いている。
フロアにはオアシスのサードアルバム「Be Here Now」がかかっていて、もう自分はそれだけで絶好調。 最初は「Stand By Me」から始まり、思わず歌う。 その後もずっとオアシスで、どうせ独りっきりなので、終始小声で歌う。
「Be Here Now」アルバムの最後から2番目の「It's Getting Better (Man!)」のギターソロに差し掛かったところで場内が暗転。ヘリコプターのプロペラ音のようなSEがかかってる!とおもったら、やっぱりオアシスの「D'You Know What I Mean?」のイントロだった。長いイントロが終わってリアム・ギャラガーの声が入ろうとしたところで、永井真理子さんがステージに登場。みなさんのイメージしているようなショートカットではなく、しっかりとしたロングヘアーを蓄え、クールなツアーTシャツを着ていらっしゃったが、余りの可愛さゆえに、管理人Katsは彼女の顔面を直視できません。メチャメチャ恥ずかしいっす。チラチラっとお顔を拝見すると、「本当にこの人、35歳???」と思わずにはいられないほどお肌はピカピカで、なおかつやっぱりとんでもなく可愛い。恐ろしく可愛い。街にこんな可愛い子は歩ってないっすよ。逆に自分のでかい顔面が火照ってきてしまったぐらいだもの。
あんまり曲名とかを言っても、ここで分かる人は少ないと思うんだけど、とりあえず最初はニューアルバムの1曲目「冒険者」だった。しかし、もうねーー、ステージの演奏は完全にロックンロールなんですよ。なにせギタリスト2人のアンプは揃ってマーシャルのスタックだし、持ってるギターもギブソンだしで、自分の位置だと当然そのマーシャルアンプから直接ギター音が聞こえてくるんだけど、ステージ上は完全にノイズの嵐。 2日前にクラブチッタでライヴを見たけど、そこでプレイしていたMAD3みたいにノイジーなロックンロールなんだもの。 お陰で永井さんのボーカルはあんまり聞こえません。なのでこのライヴの最初の印象は、このノイズの中で歌う永井さんはすげーなぁ、ということだった。
最前列にいるのに、後ろから押してくる人はあんまりいなくて、異様なまでに快適。まあ、前に柵があるのであんまり踊ることはできないんだけど、とにかくオレの正面に永井さんがいて、永井さんの正面にオレがいるという、恐ろしい状況をいまひとつ飲み込めないまま、次の「おしゃれレジスタンス」でも踊る踊る。ちょっと余計な話だけど、最近の永井さんのアルバムはメチャメチャいいんですよ。昔はあからさまに「これフェイセズの影響?」「これサイケデリックの影響?」ってのがあったんだけど、最近の2枚のアルバムはいい意味で普通のロックンロールなのだ。フジロックに出れば初めて聞く人達を前にしてもメチャメチャ盛り上がるんじゃないか?って思うような、クールなロックンロールで、なおかつ歌詞もいいんだなこれが。このアルバムを残して終わりなんて、そりゃあんまりだって感じがする。
ようやくヒット曲の「Cherry Revolution」が登場して、場内大合唱。レニー・クラヴィッツに感化されたようなギターリフが特徴の曲なんだけど、これがほんとに大合唱なんだからすごいっすよ。最前列にいると、そのみんなの歌声がメチャメチャ聞こえてきて、こっちまで感動してしまうよ。その後は、「永井さんのライヴに100回以上行った」という女性の人がステージに招き上げられて、「日曜日が足りない」を椅子に座って聞かせてもらえるなど、ちょっとほのぼのムードに。
「ふにゃららむにゃらら新聞の報道は間違いです。」というMCにて、今後彼女がどういった道を歩んでいくつもりかが語られ、ほのぼのムードが一転してちょっとしんみりムードに・・・。さすがにこの時は永井さんの顔をずーっと見ていたのだけれど、話していくにつれ、目が涙でだんだんキラキラ
していくのが分かった。さすがにここでは涙をこぼしはしなかったけど、涙で光った彼女の目はとにかく綺麗だった。
そしてアコースティックなメドレーナンバーが始まった。もうここでは往年の永井ファンなら涙モノの選曲が続き、「瞳・元気」「Dear My Friend」「私の中の勇気」「ミラクル・ガール」「ハートをWASH!」「One Step Closer」という自分が20歳前後に死ぬほど聞いた曲群のオンパレード。でもその頃の思い出がフィードバックして泣けるのかなと思ったのだけれど泣けなかったな。というかこれらの曲に対して、幸せな感情は呼び起こせても、泣けるような想い出は何一つないものな。しかし「ミラクル・ガール」を演るとは思ってなかったなぁ〜。(・・・とは言ってもメドレーなのでサビの部分だけだったけど。)
そして後半は怒涛のロックンロール攻めで、やっとフロア後方からの押しがきつくなってきた。でも普通のライヴハウスのギグに比べるとなんでもなくて、やっぱり快適快適。Tシャツ姿にならなくてもいいぐらい冷房は効いてるし、ダイブする人もいないしね。ミッシェルやレイジの方が何百倍も大変だもの。
最後はアルバム「ミラクル・ガール」から「プリティ・ロックン・ロール」。今見ると結構恥ずかしいタイトルだけど、当時はメチャメチャロックに思ったものですよ。でも、ここでの演奏はかなりロックだったよなぁ。いい意味でキーボードのプレイがあんまり聞こえなくて、なおかつダブルギターだったもんだから、この曲のリフはなかなか強力なものになっていました。オレにとっちゃ、オアシスの「ロックン・ロール・スター」も、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」も、ミッシェルの「キャンディ・ハウス」も、永井さんの「プリティ・ロックン・ロール」も、同列だったりするんだよね。
最初のアンコールでは、出た!「23才」! 「23歳の忙しい日々、何かが足りないんだね。」と歌われるこの曲は、未だに折に触れて思い出すことがあり、「あんなに大人に見えた歳も、自分じゃそうは思わない。」などという歌詞は、歳を一つ取るたびにこれからずーーーっと思い出すことになるだろう。
そしてまた出た!「Ready Steady Go」! この曲を初めて聴いた時には、もう感動しまくったんだよなぁ。とにかく最高のロックンロールなんだけど、やっぱりライヴでも最高だなぁ。ほんと久々にこの曲を聴けた。「天使の翼、夢見て街へ飛び出そう」という歌詞は、そのまま永井さんにお返ししたい。
最初のアンコールの最後は「さよならの翼」。永井さん、とうとう歌えなくなってしまった。大粒の涙が流れて止まらない。周りの女性達からもすすり泣きの音が聞こえてくる。でも自分は泣けなかった。なんで泣いているのか分からなかったから。だってこれは最後のライヴじゃないって言ってるわけじゃないか。海外に住む、そして日本に時々戻ってきてライヴやレコーディングをする、って言ってるわけじゃないか。そりゃあ当分会えないかもしれないし、権利関係からこれまでの楽曲は使えないかもしれないけど、それは問題じゃないと自分は思ったから。
「子供の時のように泣いてしまった」と言ってから始まった2度目のアンコールで歌われたのは「Catch Ball」。昔、この曲では、隣の人と手をつないで左右に振るというのがお約束だったんだけど、そのお約束は今でも生きていた。両隣の女性と手をつないでしまった。でもその当時もそうだったんだけど、1番が終わるあたりで腕が疲れてくるんだよねー。今日もメチャメチャ疲れた。でも持っている手が女性のものである手前、途中で休むわけにもいかず、最後まで手を振り続けた。結局、約10年ぶりに「Catch Ball」で腕を振ることになったのかな。
バンドのメンバー全員と横一列になってご挨拶。後ろに流れているのはやはりオアシスの「All Around The World」。実は前回ブリッツで見たときも客出しの曲は「All Around The World」だった。涙をボロボロこぼしながらオーディエンスからのプレゼントを受け取る永井さん。それを見ながら「All Around The World」を歌うオレ。
前2つの公演では行われなかった3度目のアンコールでは、旦那の廣田コージのアコースティックギターのみで「My Sweet Days」を歌った。ここでも涙で声が出ない。横を向きながら途中で歌を歌うのをやめてしまった。するとオーディエンスが大声で歌い始めて、永井さんが歌えなくなったところをカバーした。
- 冒険者
- おしゃれレジスタンス
- あなたが笑うと
- Cherry Revolution
- 日曜日が足りない
- Way Out
- うた
- きれいになろう 〜 瞳・元気 〜 Dear My Friend 〜 私の中の勇気 〜 ミラクル・ガール 〜 ハートをWASH! 〜 One Step Closer
- Kiss Me
- 恋するウイルス
- めげるなつぼみ
- White Communication
- 大きなキリンになって
- プリティ・ロックン・ロール
- 23才
- Ready Steady Go
- さよならの翼
- Catch Ball
- My Sweet Days
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| 永井さんライヴが終わって |
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2時間半近いライヴはすべて終わった。その直後、ファンサイトの間で計画されていた特別企画が実行された。すべてのライヴが終わった後、男性の呼びかけで、セカンドアルバムに入っている「Mariko」をみんなでアカペラで歌うというものだった。もちろん袖に下がってしまった永井さん本人はこの企画を知らない。自分自身、忘れかけていた曲だったけど、驚くべきほどに歌詞を覚えていて、すべて空で歌えてしまった。 オアシスのライヴでは、オアシス側の流すSEで勝手に歌わされてしまったが、ここではファンすべてが、自発的に永井さんの曲を歌った。 永井さんにその声が届いたかどうかは分からないし、普通のアーティストのライヴではなかなかやれないことだけど、ツアーの最後を飾る最高の演出を自ら作り出したってのはすごいなと思った。永井さんが永井さんなら、ファンもファンだな。(その企画の中心となって動いた方は、多分うちの掲示板にも何度か書き込みをしてくださったことがある方です。)
結局自分にとってはこのライヴで何が終わったわけでも何が新たに始まったわけでもない。永井さんの決断に関しても特に何か言いたいこともない。自分に停滞を感じたから海外に飛び出してやり直してみるという決断は、驚くべきことでもないし、常に自分探しの旅を続けていた永井さんにとって当然の、というか、ちょっと遅すぎるぐらいの決断なのではないかと思う。これから個人運営でやっていくというホームページの方も楽しみだ。(・・・でもURLはどうやって知ればいいのだろう?) 曲の方も自主制作で作っていくのだろうからそれも楽しみだ。 一度好きになった女性をそう簡単に嫌いになれないのが、自分という男だから。
帰りがけ、PA卓の横に永井さんのお母さんが独りでたたずんでいた。彼女は自分の娘のラストステージをどんな想いで見ていたのだろうか。普通、ライヴが終わったらメンバーとともに「お疲れさん」を言いにバックステージに行くものなんだろうけど、こうやって自分の娘を応援してくれたファンのみんなが帰っていく姿を独りで眺めていたお母さんの目には一体何が映っていたのだろう。
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Send comments to: Katsuhiro Ishizaki Last updated: 12/ 23/ 02
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